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A級戦犯についての誤解

時折見かけるA級戦犯に関する分祀論だが、大きく3つの点で事実誤認があると指摘せざるを得ない。 

 

一つは所謂戦犯論。 

これはプロペシアを購入するときに知ったことなんだが、よく引き合いに出されるドイツの場合は、殆どの報道で触れられていない重要なことがあるらしい。 

それは、ドイツの戦犯論はニュルンベルク裁判には依存していないと言うことだ。 

 

主権回復後の東西ドイツでは、第三帝国法令に基づき、戦犯とされたものの犯罪について見直し、必要に応じて裁判をやり直している。 

その結果、刑が重過ぎるものについては軽減し、逆に軽すぎるものについては加重する等の取り扱いをしている。 

根拠は明白。 

ニュルンベルク裁判で適用された法は、戦勝国による事後法であり、近代法の基本原則に反するから都市、その時期に有効であった国内法に基づいて裁きなおしただけだ。 

だから、未だに戦犯容疑者を追及し続ける法的根拠を有している。 

 

これに引き換え、東京裁判の場合は、帝国法に基づく罪科の見直しが行われたことはない。 

行われたのは講和条約発効に伴う恩赦による軽減だけだ。 

 

だから、東京裁判や戦犯に批判的な諸君からすれば、事後法による裁判であることなどを根拠とした否定的であったり、疑問を呈したりする十分な理由になりうる。 

 

 

合祀された英霊は、基本的に犯罪者として処断されたものは含まれていなかっただろう。 

つまり、帝国法により有罪と確定されていれば、その後に合祀されることはそもそもありえなかったことは言うまでもない。 

 

つまり、国内法における位置づけをきちんと済ませてこなかった戦後政治の問題だ。 

 

 

 

二つは、伝統的な宗教観。 

民俗学者折口信夫によると、死者は唯死ぬのではなく、山の向こうにある死者の村に暮らし、子々孫々を見守っていると。 

 

一方で、先祖は長い間に個を喪失し、祖霊と言う集合体に昇華するとも。 

また、同時に複数の場所で存在しうると。 

 

つまり、合祀された段階で 

靖国神社という”村”に暮らし、子々孫々たる我々を見守っている。 

祖霊と言う集合体として存在するようになる。 

個々の英霊は、集合体として靖国神社とふるさとの墓とに存在する。 

 

不敬を承知で例を挙げるならば、食料品店で買い集めてきた各地の塩を混ぜた状態で、改めて産地別に分けることが出来るかと言うことだ。 

 

 

三つは伝統的な死者に対する考え方 

天神社、神田神社(神田明神)などに共通することでもある。 

 

来歴などを見ると明白だ。 

 

天神社は、言うまでもなく菅原道真公を祭神とする。 

藤原一族により大宰府に配流され、現地で憤死した道真公が、藤原一族に凄まじい祟りをなしたと言う。 

これを鎮魂するために造営されたのが北野天満宮や大宰府天満宮。 

学問の神様として各地に天神社が造られた。 

 

神田神社は、平将門公を祭る神社だ。 

関連するものとして「首塚」「兜神社」等がある。 

いずれも、おろそかにすると激しい祟りを招くとされる。 

 

このほかにも崇仁天皇や、ユーカラにみるアイヌ神話、針供養などの各種の供養などにも類例が見られる。 

 

いずれも、きちんと崇敬していれば、禍を避け、或いは幸いをもたらすが、おろそかにすると祟り神として禍をもたらす。 

 

仮に、何らかの方法で靖国神社が分祀の方法を見つけたとしても、分祀された戦犯諸霊を祭る施設を設け、きちんと崇敬しなければ、靖国神社だけでなく、各地にも禍をもたらしかねないだろう。 

 

 

勧進し、或いは合祀するのは比較的容易だが、破棄し、或いは一部分だけを分祀するのは簡単ではない。 

 

 

附言するならば、国内法に基づいて「犯罪者」として処断されたものならば、それなりの合理性はあるだろうが、国内法でないものに従って「犯罪者」として扱われたものを犯罪者扱いすることには、法令上の問題もあるだろう。 



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